30万人の出処は国民軍の宣伝担当イギリス人記者だった
南京大虐殺の犠牲者が30万人と言ったのは英ガーディアン紙の記者ティンパレー(Timperley)である。国民党に雇われて欧米に対して宣伝活動をしていた彼は、国民党の正式文献でスパイと記されていた。数字の質が疑われる。
ティンパレーは1937年1月に30万人大虐殺と報道したが、後に1938年3月に刊行した『外国人の印象の中の日本軍の暴行』の喧伝文では30万人と書いたり、4万人と書いたりもしている。ベイツ博士の日記にも4万人と書かれているので符合する。

ちなみに中国語版ベイツ日記では、この人数が削除されている。30万人の13.33%だからだ。1938年の年初から数ヶ月でこの30万人説が広がり、同年7月に米英仏の記者16人が南京に取材にきたが既定の出来事として調査はしなかった模様。
今、この数字を習主席が世界に喧伝しているが、この数字を広めたティンパレーは国民党の工作員だったということがミソだ。国民党の公式記録は当初4万人と記録されていたが、事件の直後に中国側から出された数字は2万人だった。

エドガーとスノーが欧米向け宣伝活動に30万人という数字を利用し続けた。一方、南京で亡くなった人の中には国民軍の犠牲者もいるとのこと。中国の国民軍の残虐性は、襲われた日本人居留者の姿形を留めない遺体からも証明されている。
日本軍の行動を正当化するのではない。ただ、一人歩きした30万人という数字の出所がプロパガンダを職業とするイギリス人記者兼スパイだったということを、もっと知ってもらう必要があると思う。

ティンパレーは1937年1月に30万人大虐殺と報道したが、後に1938年3月に刊行した『外国人の印象の中の日本軍の暴行』の喧伝文では30万人と書いたり、4万人と書いたりもしている。ベイツ博士の日記にも4万人と書かれているので符合する。

ちなみに中国語版ベイツ日記では、この人数が削除されている。30万人の13.33%だからだ。1938年の年初から数ヶ月でこの30万人説が広がり、同年7月に米英仏の記者16人が南京に取材にきたが既定の出来事として調査はしなかった模様。
今、この数字を習主席が世界に喧伝しているが、この数字を広めたティンパレーは国民党の工作員だったということがミソだ。国民党の公式記録は当初4万人と記録されていたが、事件の直後に中国側から出された数字は2万人だった。

エドガーとスノーが欧米向け宣伝活動に30万人という数字を利用し続けた。一方、南京で亡くなった人の中には国民軍の犠牲者もいるとのこと。中国の国民軍の残虐性は、襲われた日本人居留者の姿形を留めない遺体からも証明されている。
日本軍の行動を正当化するのではない。ただ、一人歩きした30万人という数字の出所がプロパガンダを職業とするイギリス人記者兼スパイだったということを、もっと知ってもらう必要があると思う。
