独立記念日の花火と引越し大事件
子供がおなかにいたとき、イーストリバーの上に上がる独立記念日の花火を、マンハッタンのビル街から見ました。
花火は面白いようにしゅるしゅると高いビルとビルの間を上がっていき、ドカンと大きな音をさせて、夕暮れの空に大輪の花を咲かせるのでした。
おなかの子供に「ほら、これが独立記念日の花火よ」と話しかけたのを昨日のことのように思い出します。
あの頃はバブルの真っ只中、ロックフェラーセンターを日本企業が買ったとか、ハワイの高級住宅地で日本人が家を買い漁り、地元でホームレスになる人が出て困るというようなことが話題になっていました。
秋も深まった頃おなかが目立ってきたので、マンハッタンからクィーンズに引越しをすることにしました。その時、大事件が起きたのです。
マンハッタンのアパートには、私とだんなが出た途端、すぐに日本人の20代の若者が引越しをしてきました。これがニューヨーク流です。
引越しのついでに家具を買い揃えようと思い、ベッドを始め古い家具をすべて後から入ってきた人に譲り、身の回りの物だけ車に積み込んでミッドタウン大橋を渡りました。
レゴパークにある閑静な住宅街の借りることになっている家に着くと、ユダヤ人の大家さんが入り口で待っていました。
荷物を運び入れようとすると、その大家のおやじが「ベッドはどこだ」と聞くので、家具は買い替えるのだと答えました。 すると、「ベッドが無いような者に部屋は貸せない」と言い出し、いくら説明してもガンとして自説を曲げません。
結局賃貸契約は破棄ということで、だんなと私はおなかの中で暴れるくらい成長していた子供を連れてニュージャージーのだんなの友達の家に行くことになりました。
「信じられない、あの頑固おやじ」、「日本じゃ考えられないよね、こんな恐ろしいことが起こるなんて」などと口々にののしりながら……胎教にかまっている余裕はありませんでした。
ところが、クィーンズにあるレゴパークからニュージャージーまではかなり距離があります。ドライブの途中で私のおなかがパンパンに張り、子供が全く動かなくなってしまいました。
そこで暗い木立の続く道端に車を停めて、二人とも無言で、私のおなかが柔らかくなるのを待ちました。
ようやく回復したのは一時間後で、ニュージャージ行きは諦めてマンハッタンのセントラルパークウェストにあるウィークリーマンション風のホテルに入りました。
その後、クリスマス前に今度は大きめのコンドミニアムを見つけ、無事引越しをすることができました。
ところが、そのコンドは偶然同じレゴパークにあったので、ばったりあの頑固おやじに出くわしてしまいました。信じられないことに、頑固おやじはニコニコして近寄って来ると、私とだんなに言ったのです。
「いい家具があるから買わないか。勉強するよ」
独立記念日の花火の美しさと、この引越し大事件はセットになって、おなかの中にいた子供の深層心理に深い影響を与えていると思います。
花火は面白いようにしゅるしゅると高いビルとビルの間を上がっていき、ドカンと大きな音をさせて、夕暮れの空に大輪の花を咲かせるのでした。
おなかの子供に「ほら、これが独立記念日の花火よ」と話しかけたのを昨日のことのように思い出します。
あの頃はバブルの真っ只中、ロックフェラーセンターを日本企業が買ったとか、ハワイの高級住宅地で日本人が家を買い漁り、地元でホームレスになる人が出て困るというようなことが話題になっていました。
秋も深まった頃おなかが目立ってきたので、マンハッタンからクィーンズに引越しをすることにしました。その時、大事件が起きたのです。
マンハッタンのアパートには、私とだんなが出た途端、すぐに日本人の20代の若者が引越しをしてきました。これがニューヨーク流です。
引越しのついでに家具を買い揃えようと思い、ベッドを始め古い家具をすべて後から入ってきた人に譲り、身の回りの物だけ車に積み込んでミッドタウン大橋を渡りました。
レゴパークにある閑静な住宅街の借りることになっている家に着くと、ユダヤ人の大家さんが入り口で待っていました。
荷物を運び入れようとすると、その大家のおやじが「ベッドはどこだ」と聞くので、家具は買い替えるのだと答えました。 すると、「ベッドが無いような者に部屋は貸せない」と言い出し、いくら説明してもガンとして自説を曲げません。
結局賃貸契約は破棄ということで、だんなと私はおなかの中で暴れるくらい成長していた子供を連れてニュージャージーのだんなの友達の家に行くことになりました。
「信じられない、あの頑固おやじ」、「日本じゃ考えられないよね、こんな恐ろしいことが起こるなんて」などと口々にののしりながら……胎教にかまっている余裕はありませんでした。
ところが、クィーンズにあるレゴパークからニュージャージーまではかなり距離があります。ドライブの途中で私のおなかがパンパンに張り、子供が全く動かなくなってしまいました。
そこで暗い木立の続く道端に車を停めて、二人とも無言で、私のおなかが柔らかくなるのを待ちました。
ようやく回復したのは一時間後で、ニュージャージ行きは諦めてマンハッタンのセントラルパークウェストにあるウィークリーマンション風のホテルに入りました。
その後、クリスマス前に今度は大きめのコンドミニアムを見つけ、無事引越しをすることができました。
ところが、そのコンドは偶然同じレゴパークにあったので、ばったりあの頑固おやじに出くわしてしまいました。信じられないことに、頑固おやじはニコニコして近寄って来ると、私とだんなに言ったのです。
「いい家具があるから買わないか。勉強するよ」
独立記念日の花火の美しさと、この引越し大事件はセットになって、おなかの中にいた子供の深層心理に深い影響を与えていると思います。