インドやサハラには、生きる意味を考えさせられる何かがある
ニューヨークで新聞記者をしていたとき、休暇を取ってサハラ砂漠に行った。アルジェリアが良すぎて、予定より滞在時間が延びてしまった。ニューヨークでは、支社長が「むむむ、や、辞めさせてやる」と怒ると、女性編集長が「じゃ、私も辞めます」と言って庇ってくれていたらしい。
サハラから東京に戻ってきて、渋谷のハチ公の前のスクランブル交差点を歩いているとき、目が回って吐きそうになった。まっすぐ歩けなかった。あまりに人が多すぎるのと、あのゼブラ模様的横断歩道にやられて。
インドやサハラに長くいると、価値観が変わる。アメリカに帰って暫くの間、ニューヨークでさえ色あせて見えた。砂漠で苦行者のような旅をしているとき、カミュが『異邦人』で訴えようとしたことが少し分かった、ような気がした。
インドのデカン高原で、木の下に座っている老人を見た。杖をもち、布を身体に巻きつけているだけの彼の生活は、もの凄くつつましいものだろう。インドやサハラには、生きる意味を考えさせられる何かがある。
今の人間には怖れが足りないと思う。福島原発の後処理が収束するどころか、汚染水問題等、ますます対処不能に陥っているときに、他の原発の再稼動を考えるべきではないと思う。

サハラから東京に戻ってきて、渋谷のハチ公の前のスクランブル交差点を歩いているとき、目が回って吐きそうになった。まっすぐ歩けなかった。あまりに人が多すぎるのと、あのゼブラ模様的横断歩道にやられて。
インドやサハラに長くいると、価値観が変わる。アメリカに帰って暫くの間、ニューヨークでさえ色あせて見えた。砂漠で苦行者のような旅をしているとき、カミュが『異邦人』で訴えようとしたことが少し分かった、ような気がした。
インドのデカン高原で、木の下に座っている老人を見た。杖をもち、布を身体に巻きつけているだけの彼の生活は、もの凄くつつましいものだろう。インドやサハラには、生きる意味を考えさせられる何かがある。
今の人間には怖れが足りないと思う。福島原発の後処理が収束するどころか、汚染水問題等、ますます対処不能に陥っているときに、他の原発の再稼動を考えるべきではないと思う。
