アメリカに行ったらこうなった、清水の舞台から飛び上がろう!
アメリカのコミュニティカレッジ、ベスト10を書いた最後に、『私はアラバマから始めました』と書いた後、芋ずる式にあれこれ思い出した。では、ここで、アメリカに行ったらこうなった、を書いてみます。
グレイハウンドバスで日曜日にアラバマ州モービルの愛らしい私立大学に着いたとき、寮はガラーンとしていた。荷物を引きずって廊下を歩いていると、白雪姫のようなアラバマ生まれの学生が前から歩いてきた。
事情を話すと、「じゃあ、私とルームメートにならない」と誘ってくれ、荷物を一緒に運んでくれた。農場主の娘だと後で知り、その大らかさの源泉が分かった。いい子だった。
その前に、アラバマ迄、以前も書いたように、ロスからグレイハウンドバスを乗り換えながらやって来た。これがお薦め。大陸をバスに揺られて横断している間に、島国根性が徐々に薄まってくるから。

アリゾナ州 (トリップアドバイザー提供)
さて翌日英語のテストをされて、上から下まで5つのクラスに分けられた。確か、下に近いクラスだったような気がする、文法が大嫌いで。授業はともかく、キャンパスライフは楽しかった、特に……
いつの間にか、毎週末男子寮で、アメリカ人学生と一緒に大宴会を開くのが恒例になっていた。金曜日の午後、大学の前のドラッグストアーで、「ID見せて。じぇじぇっ、これ本物?」などと親父に言われながら、ワインの特大瓶やバドやコロナを山ほど買った。
卒業旅行で短期英語コースを受けに来ていた日本人の中に、大学の後輩で学部も一緒の四年生がいて、ワイン運びやSP役に重宝した。彼らも、勿論私も、日本で溜まっていた閉塞感を、岡本太郎さんの「爆発だ!」のごとく粉砕させた。
日本人は勿論、アメリカ人があんなに大笑いをするとは知らなかった。みんな、馬鹿みたいに笑った。今思うと何が可笑しかったのか分からない。ただ、やたらと楽しかった、いい年をして(私だけは)。

モービル (トリップアドバイザー提供)
その後移ったアトランタのジョージアテック(ジョージア工科大学)では、大学の前にあるトラベルロッジで猛勉強をしてから、クラス分けテストを受けた。6段階ある外国人向け英語コースのトップに入れた。三ヶ月そこにいて、その後東部に移った。
ニューヨークでは働きながら、ニューヨーク市立大学の短期コースでファイナンスと短編小説を勉強した。グリニッジビレッジでたまたま会ったそこの(小説家の)先生は、カフェで人生論をぶってくれた、ジャック・ニコルソンの『恋愛小説家』のように。
日本で会社にだけ行っていた怠け者の私が、アメリカで諦めずに頑張っている多くの人達に出会って、徐々に変わっていった。忙しくても、子育て中でも、『今のままでは終わらない』と常に考えるようになった。
帰国してから、次々と外資系企業の管理職になれたのも、「できない」と考えず、「できる」と考えて入社し、その後がむしゃらに取り組んでいくという行動パターンが身についていたからだ。
人は環境で変わる。今、閉塞感を感じていたり、家に閉じこもっていたりするあなた、環境を変えてみませんか。思い切って清水の舞台から飛び上がってみましょう。高卒の肩書きがあれば、後は何とでもなります。けっぱれ!

グレイハウンドバスで日曜日にアラバマ州モービルの愛らしい私立大学に着いたとき、寮はガラーンとしていた。荷物を引きずって廊下を歩いていると、白雪姫のようなアラバマ生まれの学生が前から歩いてきた。
事情を話すと、「じゃあ、私とルームメートにならない」と誘ってくれ、荷物を一緒に運んでくれた。農場主の娘だと後で知り、その大らかさの源泉が分かった。いい子だった。
その前に、アラバマ迄、以前も書いたように、ロスからグレイハウンドバスを乗り換えながらやって来た。これがお薦め。大陸をバスに揺られて横断している間に、島国根性が徐々に薄まってくるから。

アリゾナ州 (トリップアドバイザー提供)
さて翌日英語のテストをされて、上から下まで5つのクラスに分けられた。確か、下に近いクラスだったような気がする、文法が大嫌いで。授業はともかく、キャンパスライフは楽しかった、特に……
いつの間にか、毎週末男子寮で、アメリカ人学生と一緒に大宴会を開くのが恒例になっていた。金曜日の午後、大学の前のドラッグストアーで、「ID見せて。じぇじぇっ、これ本物?」などと親父に言われながら、ワインの特大瓶やバドやコロナを山ほど買った。
卒業旅行で短期英語コースを受けに来ていた日本人の中に、大学の後輩で学部も一緒の四年生がいて、ワイン運びやSP役に重宝した。彼らも、勿論私も、日本で溜まっていた閉塞感を、岡本太郎さんの「爆発だ!」のごとく粉砕させた。
日本人は勿論、アメリカ人があんなに大笑いをするとは知らなかった。みんな、馬鹿みたいに笑った。今思うと何が可笑しかったのか分からない。ただ、やたらと楽しかった、いい年をして(私だけは)。

モービル (トリップアドバイザー提供)
その後移ったアトランタのジョージアテック(ジョージア工科大学)では、大学の前にあるトラベルロッジで猛勉強をしてから、クラス分けテストを受けた。6段階ある外国人向け英語コースのトップに入れた。三ヶ月そこにいて、その後東部に移った。
ニューヨークでは働きながら、ニューヨーク市立大学の短期コースでファイナンスと短編小説を勉強した。グリニッジビレッジでたまたま会ったそこの(小説家の)先生は、カフェで人生論をぶってくれた、ジャック・ニコルソンの『恋愛小説家』のように。
日本で会社にだけ行っていた怠け者の私が、アメリカで諦めずに頑張っている多くの人達に出会って、徐々に変わっていった。忙しくても、子育て中でも、『今のままでは終わらない』と常に考えるようになった。
帰国してから、次々と外資系企業の管理職になれたのも、「できない」と考えず、「できる」と考えて入社し、その後がむしゃらに取り組んでいくという行動パターンが身についていたからだ。
人は環境で変わる。今、閉塞感を感じていたり、家に閉じこもっていたりするあなた、環境を変えてみませんか。思い切って清水の舞台から飛び上がってみましょう。高卒の肩書きがあれば、後は何とでもなります。けっぱれ!
