ロサンゼルスの恐怖体験
ニューヨークからロスに引越しをして、すぐに人材紹介会社に登録をした。
登録をして、家に帰ったらすぐに電話がかかってきて、明日ハリウッドまで面接に行ってほしいとのこと。
車が無いので、友人に頼んで、小さい息子を連れて面接に行った。
スターの手形で有名なチャイニーズシアターの近くに、その会社はあった。
友人は息子と一緒に車の中で待っていてくれた。
面接の途中気がつくと、二人はソファに座ってそれぞれコーヒーとジュースをいただいていた。
「面接に赤ちゃんを連れてきた人は初めてよ」と、後で会社の人に言われた。
無事合格したが、何しろ足が無い。
日本でペーパードライバーだった私は、即アメリカの運転免許を取ることになった。
ペーパーテストは簡単ですぐ合格したが、ドライブは最初から路上で韓国人の先生に習った。
日本の免許を持っていたせいか、一週間くらいで受験をすることができ、一度失敗したが、二度目に合格した。
ヤオハンの掲示板で探して、地味なレッドの三菱の中古車を帰国する日本人から買った。
その車が曲者で、ハンドルがやや左に傾く傾向があった。
常に少し右に回す感覚でハンドルを握っていなければならない。チッと舌打ちしたい気分だった。
バーバンクからハリウッドまで、フリーウェイ(日本の高速道路に当たるが無料)を通らないようにして通勤した。怖いから。
ところが、ある日、夕方会社を出た後、ユニバーサルスタジオの脇辺りでハッと気付くと片側5斜線もあるフリーウェイに入っているではないか。それもど真ん中の車線に。
たらーと脂汗がこめかみから流れ落ちるような恐怖。今と違ってナビもない。
不思議なことに、少し左にぶれる車がささやいてくれた(ような気がした)。
「大丈夫、大丈夫、ともかく端の車線に寄って、フリーウェイを出るの」
よろよろと車を端のレーンに寄せて、次の出口で外に出た。後はどうして帰ったか覚えていない。
それ以後、変な車を買ってしまったという気持ちが失せて、車を可愛く思えるようになった。
アメリカを去るとき一番悲しかったのは、あの車との別れ。
映画でロサンゼルスの高速を走る車の群れを見るたびに、今でも地味なレッドの三菱車を探してしまう私。

登録をして、家に帰ったらすぐに電話がかかってきて、明日ハリウッドまで面接に行ってほしいとのこと。
車が無いので、友人に頼んで、小さい息子を連れて面接に行った。
スターの手形で有名なチャイニーズシアターの近くに、その会社はあった。
友人は息子と一緒に車の中で待っていてくれた。
面接の途中気がつくと、二人はソファに座ってそれぞれコーヒーとジュースをいただいていた。
「面接に赤ちゃんを連れてきた人は初めてよ」と、後で会社の人に言われた。
無事合格したが、何しろ足が無い。
日本でペーパードライバーだった私は、即アメリカの運転免許を取ることになった。
ペーパーテストは簡単ですぐ合格したが、ドライブは最初から路上で韓国人の先生に習った。
日本の免許を持っていたせいか、一週間くらいで受験をすることができ、一度失敗したが、二度目に合格した。
ヤオハンの掲示板で探して、地味なレッドの三菱の中古車を帰国する日本人から買った。
その車が曲者で、ハンドルがやや左に傾く傾向があった。
常に少し右に回す感覚でハンドルを握っていなければならない。チッと舌打ちしたい気分だった。
バーバンクからハリウッドまで、フリーウェイ(日本の高速道路に当たるが無料)を通らないようにして通勤した。怖いから。
ところが、ある日、夕方会社を出た後、ユニバーサルスタジオの脇辺りでハッと気付くと片側5斜線もあるフリーウェイに入っているではないか。それもど真ん中の車線に。
たらーと脂汗がこめかみから流れ落ちるような恐怖。今と違ってナビもない。
不思議なことに、少し左にぶれる車がささやいてくれた(ような気がした)。
「大丈夫、大丈夫、ともかく端の車線に寄って、フリーウェイを出るの」
よろよろと車を端のレーンに寄せて、次の出口で外に出た。後はどうして帰ったか覚えていない。
それ以後、変な車を買ってしまったという気持ちが失せて、車を可愛く思えるようになった。
アメリカを去るとき一番悲しかったのは、あの車との別れ。
映画でロサンゼルスの高速を走る車の群れを見るたびに、今でも地味なレッドの三菱車を探してしまう私。

