アメリカに住むということ
以前アメリカで日本人ビジネスマン向けの新聞社の記者をしていたとき、駐在員の家庭を取材で訪れた。ニューヨーク郊外の高級住宅地にある一軒家で、幼児を連れた若い奥さんが取材に応じてくれた。
ニューヨーカーでも羨むような木立に囲まれた素敵な家に住み、駐在員に選ばれたエリートの夫を持ち、かわいい坊やのいる暮らし。楽しいエピソードが聞けると期待していた。
しかし、アメリカ暮らしの感想を聞くと、彼女の答えた一言は、「寂しい」だった。一日中子供と家の中に閉じこもっていて、周囲に溶け込めない、とのこと。「坊やを連れて、マンハッタンまで行くと面白いこともたくさんありますよ」などと、取材変じて悩み事相談に。
別の日、やはりニューヨーク郊外で今度はアメリカ人のボランティアグループを取材した。「日本人の奥さんから『命の電話』に「死にたい」という電話がかかってきたの。同じような電話が時々あるのよ」
昨今、『アメリカに住むということ』が取り上げられているニュースを見て、ふと遠い日の記憶が甦った。異邦人には、孤独に耐えうる強靭さが必要とされるのかもしれない。

ニューヨーカーでも羨むような木立に囲まれた素敵な家に住み、駐在員に選ばれたエリートの夫を持ち、かわいい坊やのいる暮らし。楽しいエピソードが聞けると期待していた。
しかし、アメリカ暮らしの感想を聞くと、彼女の答えた一言は、「寂しい」だった。一日中子供と家の中に閉じこもっていて、周囲に溶け込めない、とのこと。「坊やを連れて、マンハッタンまで行くと面白いこともたくさんありますよ」などと、取材変じて悩み事相談に。
別の日、やはりニューヨーク郊外で今度はアメリカ人のボランティアグループを取材した。「日本人の奥さんから『命の電話』に「死にたい」という電話がかかってきたの。同じような電話が時々あるのよ」
昨今、『アメリカに住むということ』が取り上げられているニュースを見て、ふと遠い日の記憶が甦った。異邦人には、孤独に耐えうる強靭さが必要とされるのかもしれない。
