華僑の賢さと強さ、そして優しを目の当たりにして考え込んだ
またもや新大阪駅でぎょっとした。フィリピン人家族4人を新幹線ホームで出迎えたら、高齢のご婦人3人と紳士1人が、それぞれ大きなキャリーバッグを2つずつ引きずって降りてきたのだ。ヒェー、若者でもしんどいのに。おまけにフィリピン人と聞いていたのに日本人そっくり。
フィリピンでお金持ちが多いと言われる、中国系フィリピン人、いわゆる華僑の兄弟姉妹だった。2人はサンフランシスコから、2人はマニラから。会ったとたん、昔からの知己のように話し始め、何だか今は亡き叔父叔母を思い出してホロリ。ホテルにタクシーが着いたとき、

マニラ (トリップアドバイザー提供)
思わず「運転手さんですね、荷物を云々」と弟さんに言った後間違いに気づき、謝ったらにこにこしている。この弟はサンフランシスコでエンジニア、一番下の妹はサンフランシスコで歯科医、その娘と息子も歯科医、次の妹はマニラで公認会計士、そして年の離れた長女はマニラで会社経営。
長女の娘は大学教授で医者、その婿は医者で風光明媚な島でホテル経営も。華僑だから最初から銀の匙をくわえて生まれてきたんでしょ、と思っていたらとんでもどっこい。長女が10代前半のときに父親が亡くなり、母とともに長女は家族を支え、自分も姉妹も昼間働いて夜間学校へ。

マニラ (トリップアドバイザー提供)
ビジネスの才覚があったのか、いろんな商売をやりながらお金持ちに。結局、兄弟姉妹全員が努力をして今の地位を築いたようだ。それにしても、子供たちにもしっかり勉強させて、自分たち以上の社会的地位を獲得させている。すごい、それでいて、限りなく優しかった。
キリスト教徒なので食事の前は皆でお祈り(私もアーメンと)、お料理もみんなで仲良くシェア、互いに助け合いながら階段を上り下り、たった二日だったけど、彼らの生き方を目の当たりにして、深く考えさせられた。そして昭和中期以前のの日本人の強さ優しさを思い出した。

マニラ (トリップアドバイザー提供)
フィリピンでお金持ちが多いと言われる、中国系フィリピン人、いわゆる華僑の兄弟姉妹だった。2人はサンフランシスコから、2人はマニラから。会ったとたん、昔からの知己のように話し始め、何だか今は亡き叔父叔母を思い出してホロリ。ホテルにタクシーが着いたとき、

マニラ (トリップアドバイザー提供)
思わず「運転手さんですね、荷物を云々」と弟さんに言った後間違いに気づき、謝ったらにこにこしている。この弟はサンフランシスコでエンジニア、一番下の妹はサンフランシスコで歯科医、その娘と息子も歯科医、次の妹はマニラで公認会計士、そして年の離れた長女はマニラで会社経営。
長女の娘は大学教授で医者、その婿は医者で風光明媚な島でホテル経営も。華僑だから最初から銀の匙をくわえて生まれてきたんでしょ、と思っていたらとんでもどっこい。長女が10代前半のときに父親が亡くなり、母とともに長女は家族を支え、自分も姉妹も昼間働いて夜間学校へ。

マニラ (トリップアドバイザー提供)
ビジネスの才覚があったのか、いろんな商売をやりながらお金持ちに。結局、兄弟姉妹全員が努力をして今の地位を築いたようだ。それにしても、子供たちにもしっかり勉強させて、自分たち以上の社会的地位を獲得させている。すごい、それでいて、限りなく優しかった。
キリスト教徒なので食事の前は皆でお祈り(私もアーメンと)、お料理もみんなで仲良くシェア、互いに助け合いながら階段を上り下り、たった二日だったけど、彼らの生き方を目の当たりにして、深く考えさせられた。そして昭和中期以前のの日本人の強さ優しさを思い出した。

マニラ (トリップアドバイザー提供)