非情な外資系企業 (続き)
以前、ある外資系企業の化学部門だけが、他所の外資系企業に売られてできた会社で仕事をした。その前勤めていた外資系企業が日本を撤退したので、監査法人からその会社を紹介されたのである。
大阪から国道二号線を通って、武庫川沿いにあるその会社に、毎日車で通勤した。全組織をSAPに変えるということで、海外から何十人もの技術者がきて大騒ぎをしながら、一年経った。会社の雰囲気は良かった。
ところがSAPシステムがほぼ導入された頃、その会社が突然別の外資系企業に買われてしまったのである。事情は分からないが、上層部にはきちんとした処遇がされたのではないだろうか。
新しく名まえの変わった会社は、そこから遠い神戸の人工島に引越しをすることになった。そんな時、帰りにときどき仕事がてら寄っておしゃべりをしていた外資系銀行の副社長から「遠くて通勤は無理なのではないですか。別の会社に移りませんか」とのありがたいお言葉。
彼の紹介で、大阪にある別の外資系企業の経理マネージャーとして、無事転職することができた。残った人たちは、ほぼ全員神戸の人工島に移ったが、引越しが終った後、管理部門を中心に多くが解雇された。
化学部門だけが売られる前の会社は優秀で、待遇も良かったという。突然切り離され、二度も別の名前になった会社で働き、揚句の果ては解雇された社員の気持ちを思うと今でも胸が痛む。
程なく件の外資系銀行も大阪支店を閉鎖したので、やはり多くの人が職を失った。外資系企業で働く場合は、何が起こっても対処できるように、資格武装をしておくことをお奨めする。

大阪から国道二号線を通って、武庫川沿いにあるその会社に、毎日車で通勤した。全組織をSAPに変えるということで、海外から何十人もの技術者がきて大騒ぎをしながら、一年経った。会社の雰囲気は良かった。
ところがSAPシステムがほぼ導入された頃、その会社が突然別の外資系企業に買われてしまったのである。事情は分からないが、上層部にはきちんとした処遇がされたのではないだろうか。
新しく名まえの変わった会社は、そこから遠い神戸の人工島に引越しをすることになった。そんな時、帰りにときどき仕事がてら寄っておしゃべりをしていた外資系銀行の副社長から「遠くて通勤は無理なのではないですか。別の会社に移りませんか」とのありがたいお言葉。
彼の紹介で、大阪にある別の外資系企業の経理マネージャーとして、無事転職することができた。残った人たちは、ほぼ全員神戸の人工島に移ったが、引越しが終った後、管理部門を中心に多くが解雇された。
化学部門だけが売られる前の会社は優秀で、待遇も良かったという。突然切り離され、二度も別の名前になった会社で働き、揚句の果ては解雇された社員の気持ちを思うと今でも胸が痛む。
程なく件の外資系銀行も大阪支店を閉鎖したので、やはり多くの人が職を失った。外資系企業で働く場合は、何が起こっても対処できるように、資格武装をしておくことをお奨めする。
