ふだんは忘れているけど、生きているだけで幸せ、
20年前の今朝、物凄い振動に飛び起きた。寝ていると先ずごぉーという地鳴りのような音が聞こえた。その後の激しい揺れ、まだ5歳の息子と抱き合って嵐が過ぎ去るのを待った。震度4の大阪でさえ、ドンドンドンと地響きのするような激しい揺れだった。
その後、神戸で死者が100名を超えたというニュースを聞いて息を呑んだ。犠牲者の数はどんどん増えていき、信じられない気持ちで体が震えた。テレビで流れた阪神淡路大震災の爪痕は想像を絶したものだった。数日後、ようや通じたJR神戸線に乗って本山まで行った。

目を覆うばかりの惨状に言葉を失った。昔住んでいた、そこからほど近い場所は、壊滅状態だった。家の殆どが潰れていた。三宮に住んでいた幼馴染が、倒れてきた隣の家の下敷きになって亡くなった。多くが古い木造家屋に下宿していた神戸大生39人が犠牲になった。悲しい知らせは枚挙に暇がなかった。
悲しみはいつまでたっても癒えないと、家族を失った人の多くが感じている。その後も東日本大震災、広島の土砂崩れと、愛する家族が突然奪われる大災害が相次いだ日本、そしてある意味戦国時代のようになってきた世界、生きているだけでもどんなに幸せかとつくづく実感する。

今朝天声人語に載っていた20年前の今日被災した詩人、安水さんの「泣く」という詩に心打たれた。 〈ここにいる人は一度は泣いている。あのときすぐに。 あの後ずいぶんたって。 この後、いつか不意に。〉 心から冥福をお祈りします、青空に流れる白い雲に向かって。
その後、神戸で死者が100名を超えたというニュースを聞いて息を呑んだ。犠牲者の数はどんどん増えていき、信じられない気持ちで体が震えた。テレビで流れた阪神淡路大震災の爪痕は想像を絶したものだった。数日後、ようや通じたJR神戸線に乗って本山まで行った。

目を覆うばかりの惨状に言葉を失った。昔住んでいた、そこからほど近い場所は、壊滅状態だった。家の殆どが潰れていた。三宮に住んでいた幼馴染が、倒れてきた隣の家の下敷きになって亡くなった。多くが古い木造家屋に下宿していた神戸大生39人が犠牲になった。悲しい知らせは枚挙に暇がなかった。
悲しみはいつまでたっても癒えないと、家族を失った人の多くが感じている。その後も東日本大震災、広島の土砂崩れと、愛する家族が突然奪われる大災害が相次いだ日本、そしてある意味戦国時代のようになってきた世界、生きているだけでもどんなに幸せかとつくづく実感する。

今朝天声人語に載っていた20年前の今日被災した詩人、安水さんの「泣く」という詩に心打たれた。 〈ここにいる人は一度は泣いている。あのときすぐに。 あの後ずいぶんたって。 この後、いつか不意に。〉 心から冥福をお祈りします、青空に流れる白い雲に向かって。