失楽園を見て思う、異性を選ぶとき視点を変えてみる必要も
失楽園の最後を見て驚いた。何のために心中なんかするのだろう。不倫同士だったとしても、どちらも配偶者と別れを告げ、それなりの社会的制裁は受けたのだから、死なずにベトナムにでも行って暮らせばいいのにと、見ていていじいじした。
あの二人は性愛を伴う恋に溺れすぎて、生きる道を踏み外したのだ。小説や映画としてはあの最後がクライマックスなので不可欠なのだろうが、大いに不満だ。真似をしちゃ駄目よ、これからは好きな国で暮らしても、何とか生きていけるのだから。

目もくらむような恋もいいけれど、一緒にいて邪魔にならず趣味の合う人を選んで生活を共にする、というのも生きる上での良い選択肢かもしれない。年に何度か旅に出て、同じ海風に吹かれ、舌がひっくり返るようなヤミーな食事を楽しむ。
時に相手が他の異性に惹かれても、必ず帰ってくると信じて、失楽園の夫のように人格を疑われるような叫び方をしない、実際には難しいだろうけど。恋していないからこの人を選べないと断定せずに、生活を共に楽しむという観点から相手を見ると目から鱗が落ちることも……

あの二人は性愛を伴う恋に溺れすぎて、生きる道を踏み外したのだ。小説や映画としてはあの最後がクライマックスなので不可欠なのだろうが、大いに不満だ。真似をしちゃ駄目よ、これからは好きな国で暮らしても、何とか生きていけるのだから。

目もくらむような恋もいいけれど、一緒にいて邪魔にならず趣味の合う人を選んで生活を共にする、というのも生きる上での良い選択肢かもしれない。年に何度か旅に出て、同じ海風に吹かれ、舌がひっくり返るようなヤミーな食事を楽しむ。
時に相手が他の異性に惹かれても、必ず帰ってくると信じて、失楽園の夫のように人格を疑われるような叫び方をしない、実際には難しいだろうけど。恋していないからこの人を選べないと断定せずに、生活を共に楽しむという観点から相手を見ると目から鱗が落ちることも……
