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女性中間管理職は大変だ。これがいっそ社長とかゼネラルマネージャーとかだと自分の思いのままに会社を操れるのだろうが、そうはいかない。

大赤字の外資系の会社で毎月高額の家賃を払っていたときのこと。とうとう期日に支払えなくなり、支払いの延期を大家である大手建設会社に頼みに行った。イギリス人のGMと二人で行ったのだが、もちろん事情を説明して誤るのは私、彼は隣で神妙な顔をしているだけ。

新しいGMが来る前に、前のGMの秘書を辞めさせる必要が生じた。次の秘書を募集するときになって、社内から秘書を望む女性が出てきた。クォリティの高い女性だったが、心配な点もあった。結局募集で適切な秘書を決めたが、後でかなり怒られた、その社内の女性から。

外資系企業の場合、日本の法律や慣例がよく分からない外国人のトップに、いい加減なことを言う秘書や取り巻きがつくと大変だ。管理部門の層が薄く、間違った考えを身につけた頑固な外国人を、きちんと諌めることは難しい。

昇給金額で差がついて以来、2対1で争っている女性たちの上司になった。あるとき、二人組みの一人が泣きついた。「彼女を辞めさせてください」もちろん断った。日々蓄積した度を越えた憎しみは、ものごとを客観的に見えなくさせる。

赤字のため、社員の退職制度を凍結することになった。外国人のボスが英語で説明したことを、日本語で居並ぶ従業員に伝えた。全員が私の顔を憎しみの目で見つめていたが、無理もないこと。

ストレスでとうとう顔におできのようなものができたところに、前の会社(既に日本支社は消えていた)の秘書だった女性から結婚式の招待状がきた。断ったが、スピーチだけは諦めるから出てほしいとのこと。最高級のホテルで、ストレスでドレスの似合わない顔が目立った。新郎がギョッとしていた。

唯一の収穫は…… 苦労を重ねたせいで、口達者になり、元来お人好しの私はいつのまにか「ノーと言える私」になった、それもはっきりと。ああ、しんど。

常寂光時を望む
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長い間経理をして糊口をしのいできたが、経理というのも難儀なものである。自分の信念を曲げないようにすると軋轢が起こる、特に上層部と。

コントローラーとして外資系の会社で働いていたとき、日本支社長はフランス人だった。日ごろから何となくそりが合わなかった。そんなある日、社長室に呼ばれた。

営業畑出身の彼は経理方面にうとく、無理なことをしろと言ってきた。そんなことできないと言っても、黙って命令をきけと言う。そこで、絶対にきけないとやり返した。すると怒鳴った。「今すぐここから出て行け!」

私が部屋を出たとたん、わざわざ机を立ってきて、背後からバシーンとドアを閉めた。社内はシーンと静まりかえり、みな下を向いて仕事をしているフリ。興味津々なのは、わかる、わかる。

気のいいオーナー経営者は、使途不明の買い物をしていた。おまけにその物品は行方不明。問い詰めると怒鳴った。「わしが自分の金を少し使ったからって、それの何が悪いんや。あんたは検察官か」それでも追及の手を緩めなかったので、会社を去る羽目に。ふん、信念を曲げるより、よっぽどマシだ。

経理が「わや」になっているという、業績のいいベンチャー企業に入ったとき、どう数えても、特殊な用途のため別においてあるはずの小口現金が足りない。社長と親戚だという、経理のおばさんに聞くと「ちょっと、家の押入れで預かっています」のけぞった。経理が「わや」になるはずだ。

結局、社長を言い負かして、おばさんに辞めてもらった。だいぶたってから、まったく関係のない件で、社長室に呼ばれたついでに言われた。「あんたは性格が悪い」 ああ、経理担当者の悲哀は延々と続く……
     黄金色のイチョウと青い空
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法律の勉強をしながら、目黒にある高級洋菓子店でバイトをしていた頃のお話。コーヒーも飲めるようになっている店には、時々スターが顔を見せた。

高級を押し通している店では、もちろん皆知らん顔をして、コーヒーとケーキを有名人に運んでいた。店長に嫌われていたがさつな私は、ケーキを包む役しかもらえなかった。

あるとき、ドアを開けて入ってきた男性を見てひっくり返りそうになった。大洋(仮名)だった。彼は一人でテーブルにつき、コーヒーをオーダーした。えらいことだ、ケーキなど包んでいる場合ではない。

すっ飛んでいくと、同僚が運びかけていたコーヒーの載ったトレイをひったくり、憧れの君にコーヒーを運んでいった私。

その後もケーキを入れたショーケースの後ろから様子を見ていて、一杯目を飲み終わる頃には、二杯目を持って行った。そして、今度は三杯目を…… 

テーブルに三杯目のコーヒーを載せようとした私に、彼は言った。「もういいから」 危なくのけぞりそうになった。

あれから長い年月がたつが、大洋の歌を聴くといつも芋ずる式に思い出す。
あまったケーキやクッキーをもらって帰り、翌日語学クラスで配ったこと、司法試験に受かるんだと希望に燃えていたこと、等々。

「もういいから」と言われた頃の自分に戻れたら、果たして今度はどんな生き方をするだろう…… 創作意欲が湧いてきた。 

嵐山天龍寺ススキ紅葉
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グァムで急にお寿司が食べたくなり、泊まっていたホテルの回転寿司屋に行った。韓国語が飛び交っていて、回転するテーブルの真ん中で寿司を握っている三人も韓国人だった。ふと気づいたチーフ格の男性の目の鋭さ、只者ではない。

活きがいい大ぶりのまぐろが載った寿司は時々しか出さなくて、天麩羅や得体の知れないものの載った皿が多かった。まぐろは、椅子に座っている人に行き渡るように、さじ加減をしてベルトコンベアに載せられていた。

同じ人がおいしいマグロをたくさん食べることができないように、微妙に調節されていたのだ。食欲が一気に落ちた。回転寿司のベルトコンベアはアンタッチャブルに願いたい。

ハワイで、きれいな運河沿いにあるホテルに泊まった。すぐそばが公園やゴルフ場、距離はあるが正面にはダイヤモンドヘッドが見えるという、眺め抜群で経済的なホテル。おまけにワイキキビーチまで歩いてすぐと地の利も良い。

パンとコーヒーや紅茶、パイナップルというささやかな、プールサイドで食べる朝食もついていた。パンはトーストが殆どだが、気をつけているとクロワッサンが時々出た。バジェットの問題だろう。

ある朝、クロワッサンが見当たらないので「隠しているんでしょ」と言うと、日系人の少年が困ったような顔をしてクロワッサンを出してきた。それ以来私の顔を見ると、クロワッサンを出すようになった。

一度ハワイに住むことを考えて、現地調査に行ったとき、スーパーを経営する日系人のオーナーが忠告してくれた。「ハワイで暮らすとのんびりしすぎて、子供が怠け者になってしまうから止めた方がいいよ」

マグロの出し方のさじ加減をする儲け上手な韓国人の回転寿司屋と、素直にクロワッサンを出してしまう日系人のおとなしい少年。何となくサムソンにやられている日本の家電メーカーを思い出してしまうのですが……

ハワイ ワイキキビーチ
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昨日リッツカールトンに行くと、華やかなクリスマスツリーの前で、幼い兄妹が家族から写真を撮ってもらっていた。女の子はドレス、男の子はスーツを着て、とても幸せそうに笑っていた。

その時ふと、メーシーズのパレードで見た小公女のような女の子を思い出した。立派な紳士に抱っこされたその子は、高価そうなコートを着てセンスの良い帽子をかぶっていた。とても大切にされているのが、一目で分かった。

赤ちゃんは皆同じように生まれてくるが、どの家に生まれるかでその運命は大きく変わる。愛に満ちた家庭で育てられる子供もいれば、親に虐待されて心身ともに傷つき、中には殺される子供もいる。また、本人の気持ちも確かめず、突然無理心中させられる子供もいるのだ。

今年上半期(1~6月)に摘発された児童虐待の件数と人数はともに前年同期比で62・1%、56・4%増の248件255人で、被害児童数も55・6%増の252人で過去最多となった。このうち性的虐待を受けた子供は69人である。

児童ポルノについても上半期の摘発件数、人数ともに前年同期比で19・9%、37・2%増の764件612人で、いずれも過去最多になっている。

目を覆いたくなる惨状である。子供を苦しめる親や大人には重罪を科すべきである。子供への性的虐待、ポルノ撮影等を行っている者は、宗教心、言い換えれば良心のかけらもないのであろうか。死後の世界が怖くないのだろうか。

子供にとって楽しみなクリスマス、お正月がすぐそこにきている。不幸せな子を救う手立てを国は本気で実行してもらいたい。生まれた家によって、幸、不幸が大きく左右されるのは、あまりにも残酷だ。
嵐山紅葉行列
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ニューヨークに住んでいたとき、ニュージャージの邸宅で催された音楽家ばかりが集まるサンクスギビングデーのパーティに招待された。

バイオリニスト夫妻の車に同乗させてもらい、マンハッタンから、ジョージ・ワシントン橋を通ってニュージャージへ向かった。瀟洒な住宅街を抜けて、車は木立の間を走り抜ける。

紅葉も終わりすっきりとした林に囲まれて、その邸宅は建っていた。絵本に出てきそうなチョコレート色の家の、ドアをノックして中に入ると、様々な楽器を演奏する音楽家たちが集っていた。

私はさっそくキッチンに入り込んで、料理の手伝い(邪魔)をした。キッチンを仕切っているのはご近所のイタリア系のおば様で、独身のこの家の主のために毎年感謝祭のシェフを任されているとのこと。

サラダをかき回しながら、キッチンいっぱいに広がるローストターキーやクランベリーソース、パンプキンパイの匂いを嗅いで幸せな気持ちになった。古き良き時代の、アメリカの匂いだ。

美味しいものを和気藹々と食べた後で、コンサートが始まった。古いアーリーアメリカン調の部屋の中に美しい音楽が充満した。流れる幸せなひと時。

昨日嵐山と嵯峨野で、例年より一際鮮やかな紅葉を見ているとき、ふとサンクスギビングデーの心温まる集いを思い出した。美しい景色が美しい思い出を喚起させたのであろうか。
       天龍寺嵐山紅葉
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以前、ある外資系企業の化学部門だけが、他所の外資系企業に売られてできた会社で仕事をした。その前勤めていた外資系企業が日本を撤退したので、監査法人からその会社を紹介されたのである。

大阪から国道二号線を通って、武庫川沿いにあるその会社に、毎日車で通勤した。全組織をSAPに変えるということで、海外から何十人もの技術者がきて大騒ぎをしながら、一年経った。会社の雰囲気は良かった。

ところがSAPシステムがほぼ導入された頃、その会社が突然別の外資系企業に買われてしまったのである。事情は分からないが、上層部にはきちんとした処遇がされたのではないだろうか。

新しく名まえの変わった会社は、そこから遠い神戸の人工島に引越しをすることになった。そんな時、帰りにときどき仕事がてら寄っておしゃべりをしていた外資系銀行の副社長から「遠くて通勤は無理なのではないですか。別の会社に移りませんか」とのありがたいお言葉。

彼の紹介で、大阪にある別の外資系企業の経理マネージャーとして、無事転職することができた。残った人たちは、ほぼ全員神戸の人工島に移ったが、引越しが終った後、管理部門を中心に多くが解雇された。

化学部門だけが売られる前の会社は優秀で、待遇も良かったという。突然切り離され、二度も別の名前になった会社で働き、揚句の果ては解雇された社員の気持ちを思うと今でも胸が痛む。

程なく件の外資系銀行も大阪支店を閉鎖したので、やはり多くの人が職を失った。外資系企業で働く場合は、何が起こっても対処できるように、資格武装をしておくことをお奨めする。
        
         雨の紅葉と柿、駅から
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ほぼ派遣社員から外資系の企業の経理部長になった私は、週日は東京で仕事をし、週末に大阪に帰るという生活を三ヶ月続けた。そして、会社を東京から神戸に移転させるために尽力した。

さて、ここで気の毒なのは今まで東京で勤めていた社員である。給料もよく、待遇もよく、日本支社長夫妻の暖かい人柄もあって、定年まで安泰だと考えていた職場が神戸に移ってしまったのである。

移転後、数人が事務処理のため神戸にやってきた。これから仕事がなくなり不安に駆られている管理部系の女性たちの嘆きを、目の当たりにするのは辛かった。悲嘆にくれて本音を吐露する人の前では、人は黙るしかない。

それから一年後、あろうことか、その会社は日本支社を閉鎖した。最後まで一人海の見えるオフィスに残って、会社を閉める手続きをした。そんなある日、あることに思い至った。

東京から神戸に移転したのは、社員の大半を引越しというカムフラージュのもとに切るためだったのではないか。もしそうなら、最初から会社は採算の悪化した日本支社を閉鎖するつもりだったのだ。何たる周到さ。

同様の事例の現在進行形の話もある。関西にある外資系企業が、東京にある日本の会社を傘下に収めた。さっそく東京を閉めるので、ごく一部の社員を除いて、大半の社員は来年早々路頭に迷うことになる。この年末を、その人達がどんな思いで迎えるのかと思うと胸が痛む。

昭和たけなわの頃社員に優しかった日本の企業も、不景気が続く今、外資系に負けない非情さで人の首を切っている。豊かで安泰な上層部には、生活の糧を失くする人々の痛みは分からない。

まずリストラと考える前に、企業努力の限りを尽くすべきだ。安易に外資系のまねはしないでほしい。
       
      朝のサラリーマン
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イスタンブールからバスで、夕方ギリシャとの国境に着いてガックリした。その日の国境越えのバスは出てしまっていたのだ。えらいことになった、ホテルもない場所で朝まで過ごさなければならない。

夜半近くなって決心をした。そうだ、歩いて渡ってしまえ!
空に満天の星が輝いていたが、その下に広がるのは荒涼とした大地。夥しい数の兵士が道の両側に並んでいた。兵士達の間から控えめな口笛や、「野蛮なギリシャになんか行かないで!」と声が上がった。

国境の検問所でパスポートを見せた後歩き始めると、若くて位の高そうな兵士が近づいてきた。わっ、ハンサムなどと一瞬暢気なことを考えたが、身構えた。

「ここから先は誰もいないので、気をつけて。またトルコに来てください」
そう言うと彼は笑顔で敬礼をしてくれた。後方の兵士達からサヨナラの声も。

暗い大地を私は、リュックを背負って全力疾走した。右手に広がるのはブルガリア。その向こうはルーマニア。ご存知吸血鬼伝説の発祥の地だ。オオカミが出てくるのではないかという恐怖が頭をよぎったのである。

ようやく緩衝地帯を走り抜けてギリシャ側の検問所が見える場所まで来た。すると突然、正しく“夜空のトランペット”が聞こえてきた。ギリシャ側の兵士が吹いているのだろうか。心底ホッとして、ようやく走るのを止めた。

検問所の係官は、満面笑みを浮べ、両手を広げて言った。「あの野蛮なトルコから、ギリシャへ、よく来た、よく来た!」

ギリシャとトルコ双方で、お互いを野蛮だと呼び合っていたのが可笑しかった。
朝一番のバスでテサロニキに向いながら、一人そっと思い出し笑いをした。

それにしても、我が海外旅行歴で特筆すべき、深夜の国境越えだった。ちょっと野蛮だったかも。
       トルコ田舎small
             
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息子の小さい頃、海外旅行というと、その殆どが南の島だった。子供にとっては淡路島の方が余程嬉しかったかもしれない。だって、飛行機で何時間も飛んだ挙句、到着するのはいつも同じような島だから。

その中でも、ピピ島の遠さは圧巻だった。マニラ周りでバンコクまで行き、そこからプーケットへ。プーケットから、船で三時間半かけてピピ島に到着したときには、かわいそうに子供の眉間に皺が寄っていた。

ディカプリオのビーチが撮られる前のピピ島は、素朴なタイの田舎という感じ。白砂のビーチと椰子の木は殆ど見当たらず、泊まる予定だったホテルがオーバーブッキングで、海にせり出した高床式のバンガローに変更になった。

バンガローに入ったとたん、鼠くらいのゴキブリを見て親子で気絶しかけた。
干潮時の海は、向かいに見える島に行けるくらい干上がった。子供は、水溜りの中にいたどぎつい色合いの、猛々しい熱帯魚に指を咬まれて泣き出した。

そんなとき、子供のそばに突然二匹の犬が寄ってきた。利発そうな目をした雑種犬。その時からだ、子供にとってピピ島での楽しい時間がスタートしたのは。

毎日子供と二匹の犬は、砂浜を走り回ったり浅瀬に入って魚や貝を捜したりと、まるで竹馬の友のように楽しそうに遊んでいた。犬二匹は片時も息子のそばを離れなかった。

夜はバンガローの階段の下で眠り、朝になると子供が降りてくるのを待っている。そして又、楽しい一日が始まる。子供にとってピピ島は、二人の親友のいるかけがえのない島になったようだ。

あれから長い年月が経ったが、ピピ島と聞くと必ず、最上のベビーシッターになってくれたあの二匹の犬を思い出す。ディカプリオも彼らに出会ったかしら。
          
       ピピ島
       
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ハンガリーの知り合いの家でクリスマスを過ごした後、オリエント急行でイスタンブールに向った。雪のブダペスト駅まで見送りにきてくれたハンガリー人の医師夫妻から、かなり大きい包みを受け取った。

汽車の中で包みを開いて、涙が出た。その頃、他国で殆ど使えなかったハンガリー通貨フォリントの多額のお餞別、それにイスタンブールに着くまでの二泊三日分のサンドイッチが包んであった。果物やお菓子も。

泣きながらサンドイッチを食べている私の周りには、モロッコから来た医師のグループが乗っていた。食べきれないサンドイッチを分けてあげると、みんなが口々にモロッコに来たら歓迎すると言ってくれた。

オレンジのセーターがよく似合うオランダ人の還暦過ぎくらいのおば様は、トルコへ恋人に会いに行くという。ウワッ、すごい。私の涙はたちまち乾いた。

ありとあらゆる国籍の人を乗せたオリエント急行は、あちこちで話がはずみ、そこにいるだけでワクワクした。東洋の美女(魔女?)は珍しいらしく、いろんな人が話し込みにきた。ものすごく喋って、顎が疲れた。

終着駅のイスタンブールに着くと、オランダのおば様は浮き浮きと降りていった。三十歳くらい年下の、優しそうなトルコ人の若者が満面笑顔で出迎えていた。二人は腕を組み合って、うれしそうに人混みに消えた。あっぱれ。

イスタンブールのガラタ橋で、シシカバブーを挟んだサンドイッチをほおばりながら、オリエント急行で乗り合わせた人々の顔を思い出した。一期一会もまた、いいものである。

イスタンブールの写真
イスタンブール (トリップアドバイザー提供)
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城塞都市アビニョンから、ローヌ川にかかる橋を渡って、ビルヌーブ‐レザビニョンに行った。橋の上は風が強く、前から来た女性も吹き飛ばされそうになり、互いに健闘を称えあう。

ようやく橋を渡りきった所で振り返ると、城壁に囲まれたアビニョンの街の全景とサン・ベネゼ橋が見えた。紅葉した木々の鮮やかな色との調和が見事だ。

ビルヌーブ‐レザビニョンで、目指すは中世の要塞と修道院。フィリップ・ベル塔を後にして、石畳の坂道を上っていくと、道の右側には樹木の向こうに古い家並みが見え隠れし、左手には田舎風邸宅が続いた。

11月のせいか、誰もいないし、木々の梢を渡る風以外には物音一つしない。『そして誰もいなくなった』中世の、美しい村に迷い込んだのだろうか。

やがて右手の高台に威風堂々たるサンタンドレ要塞が見えた。受付にいたお姫様のように美しいマドモワゼルが、アビニョンに法王庁が移された時には、フランス王はこの町から、それを監視していたのだと説明してくれた。

修道院は想像以上に広大だった。たくさんの部屋や中庭、くねくねとあちこちに延びている回廊、おまけにその日は他の見学者は殆どいなかった。

とうとう迷ってしまった。どうしても元来た場所に出ることができない。ついに、見覚えのある部屋や庭を捜して回廊を走った、二度と出られなくなるのではないかという恐怖に駆られながら。

ひょっとしたら、あの修道院の回廊の一つは異次元に繫がっていたのかもしれない。勇気があれば渡ることができたのでは…… と後で焼き栗を食べながら考えた。

アビニョンの橋の向こうにはミラクルワールドが広がっている。又行きたい。
  
       フランスパリ郊外
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こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは「昔の自分とここが変わったな、と思うこと」です。私、すごくピンクが好きで、ピンクの服やピンクの家具、アクセサリーを集めまくってたんです。ピンクといえばほうじょう、と周りの人にも言われるぐらいピンクのものが好きで好みの色のものがあればできるだけ手に入れるようにしていましたが、最近ピンクじゃなくて、落ち着いた紫色や、緑が好き...
トラックバックテーマ 第1554回「昔の自分とここが変わったな、と思うこと」



それがねえ、変わらないのよ。年とともに円熟して、落ち着くかと思っていたら、ますます血気盛ん。
どうしてそんなに元気なのと言われます。

そして、ピントの外れた的に、絞った矢を放つのも同じ。それなりに勉強したり、練習したりと努力はするのだけど、自分の本質とそぐわないことをするから、実を結びません。

世の中には生きた足跡を残して大往生をする方や、その予備軍がたくさんいらっしゃるのに、多分死ぬまでやたらと元気で何も足跡は残せなかったという状態が続くと思います、この私は。

すみません、変わっていないのにわざわざ投稿して。
            コスモスと赤い実
       
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衆議院解散になり、現民主党政権も終息。残念なのは、田中真紀子文化相も終息すること。青みどろのような、おじさんたちの常識の沼に、あと三つ四つ漬物石を投げ込んで欲しかった。

今もNHKで、多すぎる大学についての討論が行われていた。あれだけ非常識だと嗤われた田中文科相の行動が呼び水となって、多すぎる質の低下した大学が問題視され始めている。多額の税金が使われているのだ、いい加減にしてよと言いたい。

世界平均20%いる女性議員の割合が日本では11.3%。186ヶ国中126位。その原因として、国政に進む土台となる地方議会に女性が少ないことが挙げられる。「女は家で煮炊きをしていればいい」という、男尊女卑のしつこい名残だ。

また、大切に扱われている数少ない女性議員が既得権益を侵されることを嫌い、ライバルを増やそうとしないことも原因の一つ。誰のための議員なの。後輩を育成すべし。

尚悪いことに、一般女性が女性議員に投票しない。バランスの取れた国政を行ってもらうためには、日々の生活に明るい女性議員を増やすことが先決なのに。日本女性の心の一部は、まだ江戸時代にいるのだろうか。

意気のある女性よ、地方議会に立候補をしよう。そして、その後国会に打って出よう。常識を本当の常識に変えるためには、国政における女性パワーの結集が不可欠だ。田中真紀子文化相に続け!

デパ地下混雑
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今朝から、やはり代わったNHK週末の朝の顔、あの親しみやすい笑顔が見えなくなって寂しい。せっかく築いてきた人もうらやむ地位を、どうしてくだらないことで台無しにしたのだろう。こともあろうに、痴漢とは。

ぶち壊しにしたいくらいストレスが溜まっていたのだろうか、NHKのアナウンサーらしく振舞うことに。魔がさした11分間の代償は、あまりにも大きい。

プレイボーイ紙を飾ったナイスバディの妻が浮気をしていたのを知り、殺した後切り刻んであちこちに捨てた億万長者の若くてハンサムな夫。

そんな不実な妻なんかさっさと放り出して、宇宙旅行にでも行って頭を冷やしてくればよかったのに。一生を、恐ろしいアメリカの刑務所で過ごすなんて、あまりにも悲惨。

昨日友人に聞いた話。彼女の会社には社歴二十年、三十数年の独身(これがミソ)女子社員が二人いて、互いに憎みあっている。一方が被害妄想になり、「もう我慢できない!」とばかりに、昨日は一触即発の状態に。

友人が必死に止めて事なきを得たけど、「来週あたり女子大相撲大阪場所が始まるかもしれない」と真剣な顔。他の女子社員も高齢独身が殆どとのこと。男性上司達は“触らぬ神に祟りなし”との態度をとり続けているので、遮るものナシ。怖い。

感情(あるいは欲望)の抑制を失って、自分と家族を地獄に突き落とした例は枚挙に暇が無い。ストレスフルな社会において、他山の石ではありません、複眼でものを見る癖をつけましょう。そうすれば、その場所にいない家族も見える筈。

      咲き誇る花とユニバーサルへの道
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マンハッタンの高級料亭で、つつましく食事をしているとき見た光景。店側も客側も全員、バブル真っ只中の日本人。

七十代の年配の女性が、数人のキチッとネクタイを締めたダークスーツ姿のおじさんたちに、「何でも召し上がってください」と丁重にもてなされていた。往年のアイドルかしら。あちこちの席から探るような目が。

その女性、どうやら日本から来た税理士のよう。USCPA(アメリカ公認会計士)の監査で面倒くさいチェックを受けてうんざりしていた駐在員たちが、優しい税理士ママに甘えていたのかもしれない。

その頃アメリカの監査法人で働いていた私は、日本企業の監査にスタッフとして加わっていた。某一部上場企業アメリカ支店の日本人トップは、来たのが本当の日本人(英語が母国語じゃないという意味)だと分かると最初は相好を崩した。しかし……

「イイエ、アレハゼッタイニダシテクダサイ」「ドウシテ、コノカイケイショリニシタノデスカ」とマニュアルに沿って問い質す私に、とうとう切れた。
「どこまで調べたら気が済むのだ。いい加減にしてくれ!」

今ちょうど、会社にアメリカ系大手監査法人が前監査に来ている。昨日の朝、提出書類の一覧が社内メールで回ってきたが、確かに面倒くさい。ニューヨークで会得したツボを心得ているのでまだましだが、あのとき怒鳴ったおじさんの気持ち、リカイデキマス。

タイムズスクゥエア
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エクス・アン・プロヴァンスの朝市は素敵だ。紅葉した大きな木立の間に、ありとあらゆるフランス料理の素材が並ぶ。普通の人たちが、ランチとディナーの献立を考えながら、食材を選んでいる。ごくありふれたプロヴァンスの日常。

後ろ髪を惹かれながら通り過ぎて、街はずれの坂を登ったところにある、セザンヌの家を目指す。一度はパリに出たが、こよなく愛するエクス・アン・プロヴァンスに戻ってきて絵を描き続けたセザンヌ。生前の彼の面影を偲ぶべく、この場所に来た私。

街を背中にして最後のロータリーで足が止まる。ずっと以前ここに立った記憶がある。シックな壁と屋根の家々、プラタナスの梢を吹き抜けてきた風が頬を撫でる、突き抜けるような青空。何だろう、この胸のざわめき。

セザンヌのアトリエには、彼の描いた絵画に出てくる様々な品物が置いてあった。そして使いかけの絵の具、キャンバス、バッグ等々。伝わってきた画家その人の生きる姿勢。親戚の家にいるような、親しみを感じたのはなぜだろう。

家を取り巻く庭には数匹の猫がいた。赤や黄色の梢の下にあるベンチに座って、暫し空間をミニトリップ。生きた足跡をくっきりと残せた偉大な画家が過ごした場所を、時空を超えて共有できた幸せを噛み締めた。ささやかでもよい、自分も生きた足跡を残したい、と思いながら。

プロヴァンスの写真
プロヴァンス (トリップアドバイザー提供)
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女性のドメスティックバイオレンスが増えているという。

昨日、朝地下鉄に最後に飛び乗ってきた女性の体が私の持っていた紙袋を押し潰しそうになった。「つぶれる」と呟いて紙袋を手元に引き寄せた私。

すると、彼女は後ろから強い力で私を電車の外に押し出そうとした。今まさにドアが閉まりかけているというのに。何とか踏みとどまったが感じた殺気。

次の駅で下車するとき、ドアが開いた途端、後ろから強く押してきた。警戒していたので事なきを得たが、無防備だったらうつ伏せに倒れていたかも。

同じ駅で降りた後、私を追い越して行った横顔を見た。キツネ目で不機嫌な顔、化粧はバッチリ。満員電車でやることが異常。怖い。

以前、朝の地下鉄で、一人おいて座っていた40代の女性が本格的に化粧をし始めたので、やんわりと注意した。すると、物凄い声を張り上げて怒り狂った。

おまけに、隣の人の背中越しに私の白いジャケットに太くて黒い線を引いていた。(そのときは、手を伸ばしてきて背中に触れたので何をされたのか分からなかったが、後で気付いた)怖い。

怪しい女の周りで何人もの男性が殺されている事件が、鳥取と東京で。尼崎の事件の悲惨さは目を覆うばかり。怖すぎる。

元祖女性は太陽だったが、やがてブラックホールに変わったと言われたくない。普通の人が怖くなる原因は何?
    (写真と記事は関係ありません)
     バラとOL
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文部科学省が9月11日に発表した問題行動調査で、小学生の暴力行為は前年度比83件増の7175件で過去最多となった。5年間で1・8倍に。159人が警察による補導や児童自立支援施設への入所などの措置を受けた。

いじめは小学校が3万3124件、中学3万749件、高校6020件だった。今の文科相に再び漬物石を投げ込んでいただきたいが、もうすぐ改選。大臣が落ち着いて仕事のできる国にしてよ、もうっ!

子供は親を見て育つ。モンスターペアレントの子供は、先生や学校に対する尊敬の念が欠如するので、先生に暴力をふるうかも。カーリングペアレントの子供は、困難に対処する術を持たないので、協調性に欠ける。そうなると摩擦も生じやすくなり、暴力行為に発展する可能性も。

小学生になって入った民間の学童保育は、息子に人を思いやる気持ちを教えてくれた。上級生や下級生に挟まれて兄弟のように暮らしているうちに、人との付き合い方も学んだ。

心身に障害をもつ子供もいて、大変そうだったので「かわいそう」と言うと、息子が怒った。「ちっともかわいそうじゃない。K君は何でも一人でできる。一緒にいて楽しい」 びっくりした。何時の間にか、負けていた。

子供たちに愛情を注いでくれる若い指導員がいて、父の日の参観日や運動会に必ず姿を見せてくれた。彼から男親がするような躾もされていて、責任を持って何かを遂行するということを学んだ。

年の違う子供達が共に触れ合う機会が多いと、年上に対する尊敬、年下に対するいたわりの心が芽生える。今は昔のように、年齢が違う子供達が外で一緒に遊ばない。学童保育は、子供達にそのチャンスを与える格好の場所だと思うのですが……

花と親子
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海が好きな私は、朝大阪から車で和歌山の串本まで行き、テーブル珊瑚の海でシュノーケリングをした後、夕方大阪に戻ってくるというスケジュールを何度かこなしていた。

最後にそれをやったとき、究極の恐怖を味わった。その日もいつも通り、串本で熱帯魚と一緒に珊瑚の上を泳ぎ、海の幸をアルコールフリーのビールで楽しみ、空が少しピンク色になる頃帰途についた。

『オリーブの首飾り』を聴きながら、エーゲ海にも引けをとらない海岸通りを走るのはすごく快適。途中、抜群の海が見られる恋人岬で車を止め、ドアを開けて外に出た。車から少し離れた後、振り向いてギョッとした。

運転席側の窓が開いていたのだ。急いで戻り、窓から手を入れて車のエンジンをかけた。そしてその後、オートロックの窓を閉じるポッチを押した。さっと下から上がってくる窓ガラス。あわてて鍵を抜こうとしたが、既に腕を強く押し上げるガラスに阻まれて、鍵に手が届かない。

鍵を閉じ込めると大変なことになる。必死で、上がってくる窓ガラスを阻止しようとしているうちに、とうとう指を挟まれてしまった。『指が切断される』髪の毛が逆立った。

「助けてー!!!」と、太平洋に響き渡る断末魔の叫び声。近くにいた若者が数人駆け寄ってきて、窓を押さえてくれた。おかげで挟まれていた指を抜くことができた私。窓はすぐにピタッと閉ざされ、密閉された車の中に鍵は残された。と、そのとき、若い女の子のあっけらかんとした声が……

「こっちの窓、開いてんで」 何と助手席側の窓も目一杯開いていたのだ。みんな「エーッ!」と言った後、ドッと笑い声が上がった。突然頬っぺたが夕焼けに染まった。

周りにいた若者達から「良かったやん、鍵取れて」「指も無事やし」と暖かい言葉。目から涙がポロン。あれ以来、『大阪串本日帰りドライブ・シュノーケリングツアー』はひとまずお休みにしている。

田辺湾small
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マントンから汽車で、やってきましたラ・スペッツィア。お目当ては、リヴィエラ海岸沿いにあるモンテロッソ、ヴェルナッツァ、コルニリア、リオマッジョーレ、マナローラのチンクエ・テッレと呼ばれる5つの村。

先ずモンテロッサまで電車で行き、崖沿いの道を歩いて全部の村を回ろうと張り切って出発。道は切り立った崖の上の方にあるので、左手は真青な大海原。まるで海の上を歩いているよう。11月なのに寒くなく、人は閑散。

次の村ヴェルナッツァが見えたとき、暫し歩行困難に。切り立った断崖にへばりつくように立ち並ぶカラフルな4、5階建ての家々やぶどうの段々畑の見事な奇観的絶景に圧倒されたのである。

次の区間で起きたミニ事件。物置らしき小さな小屋が幾つか並んでいる場所に出くわしたとき、突然中から銃声のような音。バーン!

運動会の百メートル競走の合図の音を思い出して、パブロフの犬のように走った、走った。おかげで次の村の奇観的絶景に辿り着くのが早かったわ。ひょっとしたら、そのための音?

リオマッジョーレ、マナローラ間にある美しい『愛の小道』を一人で歩く。好きな人と歩くとボルテージが上がるでしょうね、愛の。両サイドにある村の眺めは、どちらも血圧が上がるくらい圧巻でした。

チンクエ・テッレ訪問のベースになるラ・スペッツィアで泊まったホテルは駅近、最上階、眺め抜群。紅葉した葉っぱの向こうにローマ行きの汽車が出て行くのが見えて、彼の地をこよなく愛する私は感激。次は行くからね。

イタリアの人はあったかい。チンクエ・テッレ間乗り放題のチケットを買うときは、奥さんが自分の電車が発車間近なのもものともせず、私を特別販売所まで連れて行ってくれた(後ろから時計を見ながらご主人がついてきた)。

チンクエ・テッレは、まだまだ秘境。リビィエラの風に吹かれて歩いてみませんか、定食以外のイタリアが味わえます。
         ラ スコリエーラの写真
リオマッジョーレ (トリップアドバイザー提供)
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ニースからモナコを通り、マントンまでの早朝のバスの旅は素晴らしかった。暗いうちにニースを出て、コートダジュールを右手に見ながらモナコへとひた走る。時間がたつにつれ、際だつエーゲ海の青。

マントンへは山越えをしていくので、眼下に目覚めたばかりの、真珠のようなモナコの街とエーゲ海が広がり、正しく“息を呑むような眺め(Breathtaking view)”だった。

もし横に彼なり、彼女なりがいれば、『ああ、この人を幸せにしよう』と思ってしまうこと請け合い。関係が綻び始めているカップルの方、是非ニースからマントン行き朝一のバスに乗りましょう。(TAM100番です)

ちなみに、ニース市の計らいでバス代はたったの1ユーロ。世界一安いコートダジュール絶景ツアーと言えましょう。今度行ったら往復するものね、私。

マントンの鄙びた街がこれまた素敵。ここからイタリアのラ・スペッツィアに行くには途中乗換えというミニテクがいる。駅で切符を買うとき行き先を言うと、かわいいマドモアゼルの駅員がていねいに紙に書いて説明してくれた。

おまけに彼女は、暖かい目をしたムッシューに、私を正しいホームまで導くようにと頼んでくれた。ホームで、「良い旅を!」と言って、笑顔で手を振ってくれた彼は、“英国王のスピーチ”で主人公を演じた俳優によく似ていた。

ニースのカーニバルは来年2月15日から3月6日まで、またフランスで一番レモンの採れるマントンではレモン祭りも開かれる。ああ、行きたい!

モナコ公国の写真
モナコ公国 (トリップアドバイザー提供)
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アトランタからニューヨークに移り住み、三ヶ月間マンハッタンにある語学学校に通った。近いせいで、生徒の大半がヨーロッパ人だった。その頃ウィークリーホテルに住んでいた私は、コンドミニアムを探していた。

お腹の大きいスイス人の女性と仲良くなった。授業が終るとブルックリンにある彼女のコンドに行き、二人で地図をチェックして私のコンドを捜した。ご主人はスイスのバンカーで、彼とも意気投合。

やがて二人は、ブルックリンのおしゃれな住宅街にある一軒屋に引越しをした、赤ちゃんを迎えるために。クリスマスイブは素敵な新居で、三人でスイス風クリスマスディナーを食べた。

その彼女が、子供が成人した後、チューリッヒにプライベートスクールを作り、校長になった。その行動力に脱帽する。

チューリッヒに地上三階、地下一階の瀟洒な邸宅を持ち、ご主人は自分でパンを焼き、余暇には地元の合唱団で歌を歌っている。彼女も好きなことをして優雅に暮らせるのに、何たる奮起。そのせいか、ご主人と子供二人を『なまけもの』と、(愛情を込めて)呼んでいた、最後にミラノで会ったときに。

だから、私も頑張らないといけないのです。来年こそ頑張って起業をしようと目論んでいるのですが、正直言って何をするのがいいのか具体案が決まっていないのです。

でも、人は必ず死ぬ。死ぬときに、ああサラリーマン根性が身について、とうとうそれ以外の何者にもなれなかったと悔しい思いをするのが嫌なので、思い切って一歩を踏み出すつもり。スイスの校長に負けてはいられない!
 
      チューリッヒ 街
         
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新設三大学の認可拒否の問題、大臣の認可も下りていないのに、校舎を建ててしまったって、ちょっと変じゃない。認可の下りない恐怖にさらされた学校側が、このままじゃ訴訟も辞さないなんて息巻いていたけど……?

おじさんたちに寄って、たかって責めたてられていた文科相、でも根本的に認可のあり方を見直すべき。擁護する小さな党もあったけど、与野党問わず非常識だと騒ぎ立てるおじさんたち、選挙前だから尚のことハッスル。(昔ハッスルって曲がヒットしたけど、あれに合わせて全員で踊っているところを想像してクスッ!)

何はともあれ、田中大臣の投じた一石は大きい。大体、あんなにやたらに大学が作られていたなんて知らなかったし、認可の仕方がこんなにいい加減なものだとは思わなかった。広く国民に知られただけでもめっけもの。

アメリカ大統領の選挙結果、こと健康保険に関しては、アメリカの良識が勝利したのだと思う。女子大生が「卒業後、健康保険が無くなる恐怖が消えてうれしい」とインタビューで答えていたけど、本当に切実よね。良かったわね。

残念なのは、クリントン国務長官が代わること。クリントン元大統領が来日したとき、某総理大臣が英語で、「始めまして」と言うべきところを「あなたはどなたですか」。クリントン氏、すかさず「ヒラリーの夫です」ここでもクスッ!

日本にもヒラリー・クリントン氏に匹敵するような女性の逸材がどんどん出てくると、国家のありかたも変わると思う。おじさんたちの常識の沼に、漬物石をどばどば投げ入れなければ、変革は起こらない。

紅いバラ
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ありますよね、何もかもいやになる日。彼女もそんな気分になったのでしょうか、東京で勤めていたとき、東大出の女性がふらりとアメリカに行ったまま帰って来なくなりました。

小早川さん(仮名)はあろうことか、アメリカから手紙を寄越し、会社に置いてある自分の荷物を、アメリカに送ってくれと言ってきました。
課長のよしんばおじさん(殆ど死語の『よしんば』を愛用するのでついた綽名)が「やれやれ、困ったものだ」とため息をつきながら、彼女の荷物をまとめていました。

東大出というので期待をされて入ってきたのですが、ぼうっとしていて、「小早川さん」と呼ぶと「はえ(「はい」がそう聞こえた)」と返事をしていました。小早川さんが女性でなければ、適材適所ですごい場所で仕事をしていたかもしれません。日本では、女性はまだまだ黒子ですから。

『人がみな我よりえらく見ゆる日に、花を買いきて妻としたしむ』 昨日はそんな気分になりました、もっとも妻はいませんが。いやな仕事をやるように言われ、断ったのですがやらざるを得なくなり、何だか悲しくなったのです。

私はいやならいやとハッキリと言うのですが、なんだかんだと丸め込まれ、結局させられてしまいます。サラリーマンという立場は、わがままな人(自由人とも置き換えられる)には、何もかもいやになるチャンスを多く作ってくれます。ああ、こんなとき荷物をまとめて、関空に向えたらいいな。

『旅に病み、夢は枯野を駆け巡る』 芭蕉の気持ちが痛いほど伝わってくる名句です、よっぽど、旅が好きだったのでしょうね。あれから長いときが過ぎても、好きなときにパッと旅に出る生活はなかなかできないものなのね。

赤い靴を履いた女の子のように行ってしまった小早川さん、案外アメリカ人と結婚をしていて、今頃大統領選の投票に行っているかもしれません。
      
        日本の田舎
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アメリカで働き始めて、がっかりしたことがある。それは、バカンスが短いこと。ヨーロッパのように一ヶ月くらいのバカンスを取れると思っていたら大間違い。アメリカ人はあまり休まないのだ。

産前産後も休みは短く、すぐに働き始める。郷に入れば郷に従えで、私もそうした。日本で産後の欝が云々とか心配されるが、そんなもの感じている暇がなかった。

また、日本と比べてアメリカの労働生産性は高い。日系ではなく、アメリカの会社で働いていたとき、毎日時間ごとに何をしていたかを提出させられた。オチオチしていられない。(ちなみに日本の労働生産性は主要7ヵ国最下位で米国の7割の水準である)

言わせていただければ、一般的なアメリカ人は勤勉で、自己責任の考えをしっかりと持っている。労働者の権利擁護を声高に叫ぶヨーロッパとは対照的。

それなのにロムニーさんは、「47%の税金を払っていないアメリカ人は、被害者感情をもち、政府が面倒を見て、保険も食事も与えることを期待しているのだ、自分は相手にしない」と演説した。

非納税者となる理由の内訳をみても44%は高齢者への税控除で、30.4%が子供や低所得者手当ての税控除であるにもかかわらず。内容の精査はされていますか?

なお、最も裕福な1%が合衆国の全ての資産の34.6%を所有、次の19%の人口が50.5%を所有している(2007年)。数学が得意でなくても、残り80%のアメリカ人のパイが幾らになるかお分かりでしょう。

それなのに、それなのにロムニーさんは、減税効果によって所得トップ1%に2.9兆ドルをプレゼント、反対に低所得者の社会福祉プログラムを2.8兆ドル削減する算段をしている。失言のオンパレードよりも悪い。

ロムニーさん、あなたは一体、何のために大統領になろうとしているのですか

アメリカ国旗 サンフランシスコダウンタウン

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昨日、面白い記事を目にした。大阪弁とアメリカ英語は同じところで笑うというもの。
そう言えば、ニューヨークで生き生きと動き回っていた人には、大阪人が多かった。

ビジネス新聞社のニューヨーク支社長はこてこての大阪弁で、昼休みが終るとワイシャツの袖口を捲り上げながら、「仕事や、仕事や」と言って歩き回っていた。

大手監査法人でも、アメリカ人のパートナーに臆することなく、一番リラックスしていた日本人のパートナーは、大阪弁でジョークを飛ばしていた。

もともと大阪が発祥の地の大手商社には、標準語を話していてもイントネーションで大阪出身だと分かる人が多くいた。アメリカ人の秘書が、休暇が終っても一週間以上帰って来なかったとき、ふと耳にした中間管理職のぼやき。「またや。わややわ」どうやら彼女は常習犯だったらしい。

子供を連れてグリーンカードを取得するために一度帰国したときの、新大阪駅での出来事。背負子に子供を入れたまま、懐かしい立ち食いうどんを食べた。すると背中の子供が喃語でわめき始めた。うどんを食べていた周りの人たちが、どっと笑った。
「おかあちゃんばっかり、ええことしてなあ」「ぼくも食べたいわなあ」

ニューヨークで、何度か大阪弁で話しかけられたことのある子供は、デジャブを感じていたかも。

ノーベル賞を受賞した山中教授の関西訛りの日本語は優しい。腹が立った人が河内弁でまくしたてる、すんごい大阪弁にはギョッとさせられるが、京都神戸も含めた関西弁は東京弁と比べて柔らかい。「あほ」と『バカ』の違いかしら。

関西弁とフランス語は同じような運命を辿っているという興味深い指摘もあった。どちらもそれぞれ世界と日本で優位な言葉としての地位を長年保ちながら、今は英語と東京弁にやられている。ふうん、なるほど。

大阪駅屋上菜園から見た淀川JPG
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金持ちのロムニー氏は、「健康保険のない米国民が死ぬわけではない」とのたまった。それなら、たくさんいるご子息とそのファミリーに、健康保険も無く、お金も無い状態を想像してみたら如何。

ニューヨークで大手監査法人に移った後、病院でおめでただと診断された。うれしかったが、反面ぞっとした。民間保険では多くの場合、入社前の状況に関しては保険の対象とならないからである。

おまけに、アメリカの出産費用は、目の玉が飛び出るほど高い。出産でこれだから、保険に入っていない人が万一深刻な病名を告げられた場合、死ぬしかないのですよ。ロムニーさん、想像力をアップさせて!

私の場合幸いなことに、大手監査法人の特別良い(!?)健康保険だったので、出産費用もカヴァーされることが分かった。うれしくて、気のいい女性総務部長(白人、インテリ、裕福)の部屋を出るとき、タタラを踏みそうになった。

ロムニー大統領が誕生すると、低所得層向け医療保険制度“メディケイド”受給対象者数千万人が保険無しになり、国民皆保険制度の推進も途絶えるだろう。

共和党の言い分は、所得税を納めていない約半数のアメリカ人は『自立すべきである』。また『“メディケイド”の成功は反政府を掲げる共和党の誤りを指摘されることになる』という沽券の問題も絡んでいる。

日本も若者や低所得者層で国民健康保険料が払えず、保険の無い人が増えている。企業に若者の正社員化を促し、国家の土台を磐石にしていただきたい。国会議員の諸君、足の引っ張り合いは、もうウンザリよ。

akanosima.jpg
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昨夜デパ地下で物色中立ち止まると、後ろから怒声が飛んだ。「何や、こいつ、何してるねん」比較的若めの裏返った男の声。
「うるさい、バカ、ここは立ち止まって買い物するための場所よ。邪魔になるなら、ここから出て行けー!」と、啖呵を切った私。

と、いきたいところですが、止めました。最近の人間の壊れぶり、恐ろしいものがあります。以前の私なら振り向いて、「そっちこそ、うるさいわね!」くらいは軽く言っていたのですが。

それよりもショックなこと。それは自然災害には無縁だったはずのニューヨークがサンディーに襲われ、大きな被害が出たということ。閑静なニューヨークのベッドタウン、ニュージャージの住宅街も水浸し。

あれほど活気があって現実から遊離していたニューオリンズが、ハリケーンでめちゃめちゃになった後急速に衰退した例もあるので心配です。

マンハッタンに住んでいた頃、週末や仕事の後、ジョギングするのが日課でした。ルートは、52丁目とレキシントンアベニューの交差する場所にあるコンドから、セントラルパークまで。この季節はハロウィーンの南瓜が街中のあちこちで笑っていたので、目をキョロキョロさせながら走ったものです。

あの心はずむ季節を迎えたニューヨークに季節はずれのハリケーン崩れが襲いかかるなんて、以前には想像すらできなかった。

台風やハリケーンが巨大化し、予期しないルートを進むようになったのも地球温暖化の影響。その原因は……

デパ地下の“まじ切れ男”とニューヨークの被害には共通点がありました。どちらも『人間が怖い』

           デパ地下ケーキ
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子供を虐待し殺す親がいれば、子供に殺される親も増えている。81歳の老母を風呂場で逆さ吊りにして溺死させようとした54歳の無職の息子。33歳の息子が56歳の母親の頭を蹴り、母親は意識不明の重態。祖母と母を刺殺した後、家に火をつけた17歳の高校生。

例を挙げれば暇が無い。子供を育て上げ、その挙句、人生の半ば以降に、わが子や孫に殺されるほど悲惨なことはない。それこそ、死んでも死にきれないであろう。

引きこもりになったまま立ち直れずに年をとっていった子供が、脛を齧れなくなった親を殺すケース。また、親が死んでも、どうしていいか分からなかったと言って、放置したまま遺体と同居。人間って最下等動物?

先日、『一億総ガキ社会 「成熟拒否」という病』という本を読んだ。興味深い話の中で、最も気になった箇所。

「自分は何でもできるんだ」という幼児的万能感をひきずったままの若者・大人の「成熟拒否」の背景には、親の側の過大な期待と、現在の幼・青年期には失敗や喪失体験が少ないことが挙げられる。

子供には幼児のときから失敗や挫折を自然体で体験させ、自ら解決させる術を学ばせるべし。さもないと、引きこもりになった挙句、下手をすると殺されるかもしれません。

『ゆっくりプロヴァンスとエーゲ海の風に吹かれてフルムーン』といきたければ、先ず子供を早めに追い出すべしと思うのですが……
            親子三人銅像
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海 夏碧

Author:海 夏碧
自分の足で歩き回った国は60ヶ国以上、ニューヨークとLAで会社勤めを経験。一人で子育てをしながら、外資系の会社の管理職を歴任。アイスバーンを運転してスキー場に行き、タンクを背負ってサンゴ礁を遊泳。目下、楽しめる起業を模索中。


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