バンコクで、インド行きの安いチケットを買った。そして憧れのインド、それもインド初心者には強烈なカルカッタに飛んだ。
カルカッタの街を歩いて仰天した。車、オートバイ、リクシャ、自転車に混じって牛や山羊、そしてイノシシもどきまで道を歩いている。でも一番驚いたのは喜捨を求めて寄ってくる人々の多さ。ああ、何たる混沌。
市内バスに乗るのは時として死に物狂いだ。入り口から外にはみ出しそうになっている人の群れをかき分けて、何とか中に納まる。郷に入れば郷に従えを実践しなければどこにも行けない。
そうして行った貧民窟(ガイドブック曰く)で見た子供たちの笑顔は、太陽みたいに明るかった。その集落では、神様である牛があちこちに頃合いの間隔を置いて寝そべっていた。
あきれたことに子供達は、はだしで牛のお腹からお腹へ飛んで遊んでいた。牛は口をもぐもぐ動かしながら、のほほんと寝そべったままだ。その大らかさが素敵。
インドは、私にとって四次元の世界だ。生死について考えるなら、あれほどふさわしい場所はないだろう。永遠のときが、たゆまずに流れているのだから。時々無性に帰りたくなる。

カルカッタの街を歩いて仰天した。車、オートバイ、リクシャ、自転車に混じって牛や山羊、そしてイノシシもどきまで道を歩いている。でも一番驚いたのは喜捨を求めて寄ってくる人々の多さ。ああ、何たる混沌。
市内バスに乗るのは時として死に物狂いだ。入り口から外にはみ出しそうになっている人の群れをかき分けて、何とか中に納まる。郷に入れば郷に従えを実践しなければどこにも行けない。
そうして行った貧民窟(ガイドブック曰く)で見た子供たちの笑顔は、太陽みたいに明るかった。その集落では、神様である牛があちこちに頃合いの間隔を置いて寝そべっていた。
あきれたことに子供達は、はだしで牛のお腹からお腹へ飛んで遊んでいた。牛は口をもぐもぐ動かしながら、のほほんと寝そべったままだ。その大らかさが素敵。
インドは、私にとって四次元の世界だ。生死について考えるなら、あれほどふさわしい場所はないだろう。永遠のときが、たゆまずに流れているのだから。時々無性に帰りたくなる。

スポンサーサイト