紆余曲折があり、子供が二歳になったとき、二人で日本に戻ってきました。
まだバブル崩壊の手前だったので、私の就職先はすぐ見つかりました。そこで急いで子供の預け先を探したのですが、それは涙が出そうな体験でした。尤もその涙は悲しみと喜び、両方の涙だったのですが……
4月に帰国し5月半ばから保育園を探し始めたので、当然認可保育園に入るのは無理でした。そこで次々と無認可保育園を見て回ったのですが、今とは違って、その環境の貧しさに胸がふさがれるような思いをしました。
中には、どぶ川のそばに立つ長屋のような民家の一室に子供たちが集められているところもあり、とてもわが子を預ける気にはなれず、暗い気持ちになって帰ってきました。小さくてもいい、思い切り跳ね回れる運動場のある保育園に預けてやりたいと、心から願いながら……
とぼとぼと歩いていると、偶然大きな運動場のある保育園らしき建物を見つけました。足が独りでに運動場に沿った小道を歩き出し、気がつくと保育園の中に入っていました。
運動場だけでなく、パッと見ただけで理想的な保育園だということはすぐ分かりました。施設の良さだけではなく、そこに漂っている雰囲気が暖かかったのです。
たまたまそこにいた若い副園長先生に用向きを問われたので、事情を話しました。副園長先生は暫く考えた後、園長先生(彼のお母さん)に相談をして連絡をしますと言われました。
驚いたことに連絡はすぐにきて、たまたま引越しで子供が一人抜けて空きが出るので、お子さんを受け入れますと言うものでした。我が家の窮状を考慮して、特別に許可してもらえたのでしょう。
息子の未来に、突然明るい希望の光が差し込んだような気がしました。
その保育園で2歳から小学校に上がる迄お世話になったのですが、園長先生始め先生方が子供一人一人に細かく目を配り、厳しく暖かく接してもらうことができました。
あのときのことを考えると、子供を預けたくても預ける場所がない、あったとしても理想的な場所ではない、と困っているお母さんたちを助けてほしいと心から願います。
人格形成に大きな影響を与える幼児期に、子供の可能性を伸ばすような教育をされた園長先生。
今でも年賀状で「がんばっていますか。将来を楽しみにしていますよ」と息子にエールをいただいています。

まだバブル崩壊の手前だったので、私の就職先はすぐ見つかりました。そこで急いで子供の預け先を探したのですが、それは涙が出そうな体験でした。尤もその涙は悲しみと喜び、両方の涙だったのですが……
4月に帰国し5月半ばから保育園を探し始めたので、当然認可保育園に入るのは無理でした。そこで次々と無認可保育園を見て回ったのですが、今とは違って、その環境の貧しさに胸がふさがれるような思いをしました。
中には、どぶ川のそばに立つ長屋のような民家の一室に子供たちが集められているところもあり、とてもわが子を預ける気にはなれず、暗い気持ちになって帰ってきました。小さくてもいい、思い切り跳ね回れる運動場のある保育園に預けてやりたいと、心から願いながら……
とぼとぼと歩いていると、偶然大きな運動場のある保育園らしき建物を見つけました。足が独りでに運動場に沿った小道を歩き出し、気がつくと保育園の中に入っていました。
運動場だけでなく、パッと見ただけで理想的な保育園だということはすぐ分かりました。施設の良さだけではなく、そこに漂っている雰囲気が暖かかったのです。
たまたまそこにいた若い副園長先生に用向きを問われたので、事情を話しました。副園長先生は暫く考えた後、園長先生(彼のお母さん)に相談をして連絡をしますと言われました。
驚いたことに連絡はすぐにきて、たまたま引越しで子供が一人抜けて空きが出るので、お子さんを受け入れますと言うものでした。我が家の窮状を考慮して、特別に許可してもらえたのでしょう。
息子の未来に、突然明るい希望の光が差し込んだような気がしました。
その保育園で2歳から小学校に上がる迄お世話になったのですが、園長先生始め先生方が子供一人一人に細かく目を配り、厳しく暖かく接してもらうことができました。
あのときのことを考えると、子供を預けたくても預ける場所がない、あったとしても理想的な場所ではない、と困っているお母さんたちを助けてほしいと心から願います。
人格形成に大きな影響を与える幼児期に、子供の可能性を伸ばすような教育をされた園長先生。
今でも年賀状で「がんばっていますか。将来を楽しみにしていますよ」と息子にエールをいただいています。

スポンサーサイト